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2010年5月1日土曜日

横田幸信:「サイエンスとアートでイノベーション」

初めまして、パートナーの横田幸信と言います。

Motivation Makerでは、仕事や人、スケジュールの「調整役」の役割をさせて頂いています。現在は、東京大学大学院工学系研究科先端学際工学専攻の博士課程に在籍し、「水をはじく表面」の研究開発を行っています。また、世の中を良い方向に変える面白いことをいくつか実行しています。社会を良くするイノベーションを、サイエンスとアートの力を融合させ実現させたいということが、人生のテーマです。

twitter: yokota8
blog: http://yokota8.blogspot.com
web: http://yokota8.org


【長崎生まれの長崎育ち】
私は長崎県に生まれ、高校を卒業し、自宅で大学進学浪人をするまでの19歳までを長崎で育ちました。長崎は、歴史に関する話題に欠かない町で、例えば、鎖国時代に唯一交易が行われるという開かれた町、明治末期に坂本龍馬が拠点として活動した場所、第二次大戦末期には原子爆弾が落とされた場所などなど、時代の転換点に大いに関係し多面的な顔を持つ場所です。

小さい頃から目にし触れる、建物や道具として長崎に存在する「進化」や「変化」、「復興」の諸先輩方の努力の痕跡。また、山と海、空が共存し、自然の力強さと雄大さから発せられる(と私が勝手に考える)、圧倒的なエネルギー。それらの大きな存在は、私のような小さい一個人でも、頑張れば何でも実現出来るような気持ちにしてくれます。

いや、むしろ、「それくらい頑張らねばならぬ」くらいの気持ちにしてくれます。



【学生時代は考え事が好き】
私は、小学生、中学生、高校生と色々深く考えることが好きで、大いに深くどっぷり思考していました。しかし、特段学校の勉強に興味があった訳ではありませんでした。そのため別に高い成果を出していた訳でもありませんでした。

私の「遊び」の一つとして物理の思考実験がありました。中学生の時に、とある一般向けの科学雑誌でアインシュタインの特殊相対性理論を目にして、ある種の感動を感じました。明らかに私がその年齢までに目にしていた常識をひっくり返すものでした。そして、「この理論は何か変だ、おかしい」と感じ、大学3年生になるまで、暇を見つけては頭の中で反証実験を繰り返しました。頭と目がグルグル回り、吐き気がするほど深く考えていました。

でも、結局、大学に入学し特殊相対性理論をちゃんと体系的に学んでみると、私がずっと疑問に思っていたことはあっさり、いやあっけなく納得出来きました。拍子抜けするほどに。

もっと早く、大学で使用する物理の教科書とか読んでおけばよかったのになと、今頃気づきましたが、、、その当時は全くそんなことも気づかなかったし、私の隠れた「遊び」を知らない他者は、誰もそういうアドバイスはくれなかった。苦笑


【自力の人生設計】
今思うと、小学生や中学生の頃から、物理やモノ作り、経営、デザインなど現在でも興味を持っていることについて、関わりを持ちたがっていました。でも、それらがどう有機的に繋がるのか、どういった勉強をしていけば良いのか、私は暗中模索の状態でした。

そして、中学生になったある時、私は自らの持つ世界観?宇宙観?人生観?というか、「俺は、こう思う!」ということを、母親と一番上の姉にとうとうと数時間、言葉の通り「演説」しました。母親と姉はとりあえず、じっくり聞いてくれて、その後はじっくりと議論が行われました。

そして、日付が変わるまで議論した挙げ句出た結論は、「幸信は、『大学』で物理を学ぶと良い」ということでした。そうして、私は次の日から、「自分は物理を学び、世界をより合理的に説明するために生まれて来た」と信じる(思い込む?)ようになりました。

しかし、ここで問題がありました。私の母親、父親(この時既に亡くなっていましたが)、親戚一同、誰一人として、「大学」というものに進学したことがなかったのです。だから、「大学に行った方が良い」という母や姉には、「でも、どうやってサポートしてあげればいいのだろうか?」という、ある種の戸惑いを持っていたのも事実です。

正直に言うと、『大学』という言葉を私の人生で意味を持って、耳にしたのはこれが初めてでした。「大学で物理を学ぶ」と言っても、何をすればよいのか、そもそも大学とは何をするところなのか、全く理解していない当時でした。

「どうやら、そこにいくと色々勉強出来て、アインシュタインみたいになれるところらしい」という程度の認識でした。

その後、「俺は『大学』には行く理由はあるが、そのために『高校』を経由する理由はない」といって、母親を困らせる等、本当右往左往しました。

「高校だけは卒業して欲しい」

それが、母親が後にも先にも私の人生に対して唯一、指示というか、制約というか、要求をしてきた出来事でした。その後、かろうじて高校進学及び卒業して、卒業証書はちゃんと、母親に渡すことが出来ました。

「高校卒業」の制約以外は、母親は私の人生を自力で考えることを奨励し、その意思決定を全面的に応援してくれています。

大学を卒業、大学院修士課程を修了、仕事をしてみても、また大学院博士課程に進学してみても、やはり真の意味で一生勉強したいという想いを持ち続けています。それは、まだ自分が目指すべき知的水準に到達していないからです。まだまだ日々成長し続けられている状態に興奮します。


【私が受けて来た恩を次の世代に伝えたい】
母親からは、上がったり下がったりのムラのある私の「やる気」を定期的に高めてくれる仕掛けや励ましの態度、言葉をかけてくれ、多いに勇気づけられました。私が歩きたい道を歩くことを全力で応援してくれました。今でも応援してくれています。

他にも、これまでずっと、私の姉二人、祖父母、亡き父の友人たち、私の友人たち、そして前職NRIの皆さん、九大、東大関係の様々な方が私のやりたいことに協力してくれています。また、大学進学や大学院進学に際しては、様々な機関、組織から奨学金や授業料免除として、金銭的援助を頂いてきました。本当にありがたいことです。

私は今年で、30歳になります。父親が交通事故で亡くなった歳もまた30歳でした。さらに、母親が3人の子供を抱えて、女手一つで育てていかざるを得ない状態になったのも、また30歳のときでした。

私は、当時の父親や母親よりも安定し恵まれた30歳の日常を現在送っています。

こうしている瞬間にも、突然、なんらかのアクシデントで、よくある日常から一気に私と似たような境遇になった子供たち及び親御さんがいることでしょう。かつての私の家庭のように、先を見ようにも、先に何があるか分からず、そもそも何を考えてよいかも分からず、暗中模索で今正に現在進行で「頑張っている」、「頑張らねばならぬ」状態でしょう。

そんなことを考えると今の自分は、「もっと頑張らねばならぬ」、「まだ余力があるはず」という想いに駆られます。

その「もっと頑張らねばならぬ」の対象は、「自分のため」ではなく、これから私と一緒に未来を作っていく、「未来の大人」(一般的には、「子供」と呼ばれる方々)のためと考えています。特に一人親世帯の方々に対して。

それは、これまで様々な方から恩や、やる気を頂いて来た一社会人として、恩を下の世代に伝えていくことが当然の責務であると考えているからです。また、教育機会に恵まれ、高度な専門性を身につけることが出来た個人は、その力を真に社会のために活用することが責務だと考えています。

私の場合で言うところの「特殊相対性理論」のような感動体験に出会っていない人達には、それに類する「ガツンと感動する瞬間」を、そして目指すべきところに着実に歩んでいく意思を持つお手伝いをしたい。そして彼らと共によりよい未来社会を作っていきたいのです。


そういう想いを、サイエンスとアートの思考を組み合わせMotivation Makerで形にし、社会にイノベーションを起こします!!

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