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2010年12月6日月曜日

学力向上には、知識やテクニックではなく、なぜ「モチベーション」なのか?

こんにちは、MM横田幸信です。

本日は、少しばかりMMの紹介をさせて頂きますね。


まず、一番大きな特徴が、「パートナー制」であるということ!
「一人のリーダー」ではなく、「複数のパートナー」で組織運営がなされています。



パートナーは皆得意技をもったプロフェッショナルです。
大手メーカーエンジニア、TVプロデューサー、デザイナー、コピーライター、イノベーション研究者、大学生、大学院生とかとか、第一線の社会人と学生の集まりです。

それぞれの簡単な経歴は、こちら
詳細は自己紹介は、ブログの右の方の名前をクリックしてみて下さい!




モチベーションに特化した、教育機会を提供しています!

教育格差が生じている世帯を、かわいそうとは考えていません。むしろ、「伸びしろ」があると考えています。そして、そこをサポートするのは、知識教育よりもモチベーション教育が有効だと考えています。




MMは、教育格差の中でも、「意欲の格差」に着目しています。
社会階層(親の社会的地位や収入等で定義されます)の低い環境で育った子どもは、学習意欲、行動、成果を左右する「文化的環境」が低い傾向にあります。
「文化的環境」とは、「家の人はテレビでニュース番組を見る」や「家の人が手作りのお菓子を作ってくれる」、「小さいとき、家の人に絵本を読んでもらった」、「家の人に博物館や美術館に連れて行ってもらったことがある」、「家にはコンピュータがある」といった5つの質問項目への回答を元に、尺度が作成されています。
そして、上記で作成した尺度に基づき、上位と中位、下位に文化的環境で回答者をセグメント分けしているデータです。





そして、ここで問題になるのは、文化的環境が低いと、未来の大人の学習意欲が低いということです。

具体的には、文化的環境が下位の未来の大人たちの半数は、「勉強は将来役立つと思わない」と回答していることは、大変悲しいことです。
だって、学校で一日の大半を過ごす訳ですが、その時間が自分の将来に認識として繋がっていないわけです。

もう一つ大切なことがあります。
それは、親の社会的階層によらず、家庭の文化的環境が高いと、子どもの学力等は高くなるということです。

つまり、影響の伝播は、「社会的階層」⇒「文化的環境」⇒「子どもの学力」となっています。

一般的には、「社会的階層」⇒「子どもの学力」が直結すると考えられがちですが、本質的には、中間に「文化的環境」が入ることを忘れてはいけません。

そして、そこに着目することが、子どもの真の「学力」を考える助けにもなります。

社会的格差の伝搬で理解しておくべき課題構造があります。
それは、格差の伝搬は、水面下にある「文化的環境」と「意欲」を経由していることを理解する必要があり、またそれら二つを繋げているのが、意欲が引き出させる、何らかの「感動体験」であるということです。






子どもの「学力」も実は、そう単純なものではなく、以下のように3つの要素によって、その結果が変わってきます。

ただ「知識を暗記」して、学力がつくとは誰も思いませんよね?

モチベーションに効いているのは、家庭や地域での教育です。先ほどの「文化的環境」がここに該当するわけです。

そして、MMはこの部分の教育機会を、「モチベーション・ワークショップ」として提供しています。




「方法」や「知識」については、他NPO等が主にこの部分に取り組んで下さっているため、先輩方にお任せしたいと考えています。

また、情報通信技術を活用した新しいスタイルの教育方法(授業のweb配信、教材の公開、電子教科書配布、webでの通信教育等)の進展により、「方法」や「知識」については、中期的に自然に解決される方向にいくとも考えています。

そのような技術の進展でもカバーしきれないのが、直接的な人の力が絶対必要な教育箇所である、「モチベーション」になる訳です。

以下、茂木健一郎さんのブログでも、同じ意味の文章が掲載されておりましたので、紹介させて頂きます。



以下が、MMがモチベーション・ワークショップ設計時に常に意識しているステップです。全てのワークショップは、モチベーション発現(=動機付け)を目的として実施されています。





・・・と、MMの問題意識を構造的に説明してきましたが、最後に、少しばかり、「想い」も書かせて頂きます。




MMは、モチベーションに特化した教育プログラムを提供しており、一般的な学習支援は行っていません。

そして、MMの活動を紹介していて、ほんとうに頻繁に聞かれる質問があります。


「なぜ、MMは勉強を教えないの?東京大学発なのに?」



その理由は、上記で説明した問題構造と課題意識が前提にあるのは、説明した通りです。

・・・


そして、さらに、パートナーが持っている以下のような想いからです。

未来のおとな(=子ども)の向かいたい先がどこであれ、自力で泳ぐ意思を持って欲しい
自分で決めた「向かいたい先」に向かって泳いで欲しい

やはり、つべこべ言わず、そういう人があふれる社会にしたいのです。子どもも今の大人も。

誰かから言われた目標を達成するためだけに勉強をしたり、目先のテストでいい点をとるためだけに、よい天気でぽかぽかした休日の昼間に机に向かって欲しくないのです。

なんだか、それだと人生がもったいない気がしませんか??


極論ですが、「向かいたい先」は子ども毎にどこでもよいと考えています。彼らが真に向かいたいと自分で考えたのであれば。

未来の「おとな」なのだから、彼らの意思と想いを尊重したい。「向かいたい先」を決めるのは彼らであるし、それを彼らが考えうる動機付けと、適切な解を見いだすための必要な情報へのアプローチ方法と検討作業を側でナビゲートするのが、私たち今の大人が最大限出来ることだと考えています。


まずは、その動機付けとナビゲーションをすることが私たちの役割と責任だと考えています。そこには、責任感を持ってコミットしていきます。




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